キネマ旬報の最新号で、レギュラーコラムの中から、面白い記事を見つけた。「評論家発映画批評」というコーナーの江戸木純氏の「スノープリンス 禁じられた恋のメロディ」に対する批評だ。テーマは「�爐�涙頂戴映画�瓩鯣歡蠅呂靴覆ぁ�だが・・・」というもの。
私自身、安易な邦画のメディアミックスによる量産、ジャニーズや吉本などのお笑いタレントの不適切な起用(ミスキャスティング)、トレンドを意識しすぎたテーマ(泣ける映画など)に対して、否定的な意見を持っている。すべてが悪いというのではなく、量産されることで質が低下し、結果、良い映画まで客離れが起こってしまうだろうという危機感を持っているからだ。
今回の江戸木さんのコラムは、そうした映画製作に対する警鐘・アンチテーゼとも受け取れ、それを映画誌がきちんと扱ったことに爽快感を覚えたのである。以下、一部を紹介したい。
「本編前、製作者の名前がずらりとクレジットされる。その数二十名近く。それはまるで、この志の低い映画の首謀者を隠す傘連判状のようだ。筆者は必ずしも�爐�涙頂戴映画�瓩鯣歡蠅呂靴覆ぁ�だが、この映画の、まともな作品を作ろうとする意志も努力もなく、子供や動物の虐待や死という悲劇を感動にすり替え、観客を楽しませるのではなく搾取するためだけに企画された露骨なマーケティングには心底腹が立った。(中略)その盤石な企画に出資者が乗り、十分な資金が集まったところで、すべてが機能停止してしまったかのような惨憺たる出来栄えである。脚本、演出、演技、何がダメかといちいち指摘する必要もなく、すべてが緩く、いい加減な仕事ぶりだ。」(中略)「頭で考えただけの悲劇は、リアリティも説得力も微塵もない。登場人物のすべてがあまりに浅はかで、悲しくないどころか、はらわたが煮えくりかえる。その絵空事を健康的な明るさと血色のよさで演じる森本は、おそらく「貧しい」とか「ひもじい」という意味さえ解していない。ジャニーズのタレントが主演するスター映画の意味もあるとはいえ、この時代のこの物語に、主人公を整った長髪と汚れのまったくない顔で、小奇麗な衣装のまま演じさせるとはずいぶんと観客をなめている。」(中略)「あえてリアルを目指さないファンタジー志向は明らかな狙いだろう。それなら老人が回想する現代の部分など無用だろうが、シニア層を取り込むためには必要と判断されたのだろう。そんなマーケティング臭さだけが全編に漂い、すべての要素が記号としてしか使われない、ここまで映画的な魅力に乏しい作品も珍しい。」等々。
結局、芸術や文化として作られたものではなく、あくまで商業ベースで作られるとこんな作品が出来てしまう、という典型的な例なのだろう。この作品に限ったことではない。今後同じような企画は間違いなく存在し、我々にマーケティングを通して接点を持ってくる。その時は、結局は観る側の目利きの力が問われるのだと思う。

★犬の映画は好きなのに・・・
私自身、安易な邦画のメディアミックスによる量産、ジャニーズや吉本などのお笑いタレントの不適切な起用(ミスキャスティング)、トレンドを意識しすぎたテーマ(泣ける映画など)に対して、否定的な意見を持っている。すべてが悪いというのではなく、量産されることで質が低下し、結果、良い映画まで客離れが起こってしまうだろうという危機感を持っているからだ。
今回の江戸木さんのコラムは、そうした映画製作に対する警鐘・アンチテーゼとも受け取れ、それを映画誌がきちんと扱ったことに爽快感を覚えたのである。以下、一部を紹介したい。
「本編前、製作者の名前がずらりとクレジットされる。その数二十名近く。それはまるで、この志の低い映画の首謀者を隠す傘連判状のようだ。筆者は必ずしも�爐�涙頂戴映画�瓩鯣歡蠅呂靴覆ぁ�だが、この映画の、まともな作品を作ろうとする意志も努力もなく、子供や動物の虐待や死という悲劇を感動にすり替え、観客を楽しませるのではなく搾取するためだけに企画された露骨なマーケティングには心底腹が立った。(中略)その盤石な企画に出資者が乗り、十分な資金が集まったところで、すべてが機能停止してしまったかのような惨憺たる出来栄えである。脚本、演出、演技、何がダメかといちいち指摘する必要もなく、すべてが緩く、いい加減な仕事ぶりだ。」(中略)「頭で考えただけの悲劇は、リアリティも説得力も微塵もない。登場人物のすべてがあまりに浅はかで、悲しくないどころか、はらわたが煮えくりかえる。その絵空事を健康的な明るさと血色のよさで演じる森本は、おそらく「貧しい」とか「ひもじい」という意味さえ解していない。ジャニーズのタレントが主演するスター映画の意味もあるとはいえ、この時代のこの物語に、主人公を整った長髪と汚れのまったくない顔で、小奇麗な衣装のまま演じさせるとはずいぶんと観客をなめている。」(中略)「あえてリアルを目指さないファンタジー志向は明らかな狙いだろう。それなら老人が回想する現代の部分など無用だろうが、シニア層を取り込むためには必要と判断されたのだろう。そんなマーケティング臭さだけが全編に漂い、すべての要素が記号としてしか使われない、ここまで映画的な魅力に乏しい作品も珍しい。」等々。
結局、芸術や文化として作られたものではなく、あくまで商業ベースで作られるとこんな作品が出来てしまう、という典型的な例なのだろう。この作品に限ったことではない。今後同じような企画は間違いなく存在し、我々にマーケティングを通して接点を持ってくる。その時は、結局は観る側の目利きの力が問われるのだと思う。

★犬の映画は好きなのに・・・
コメント