
7月はラグビーネタの少ない季節です。今年は昨年より更に書くことがあまりないので、筆休みしつつ菅平合宿の練習試合観戦に余力を蓄えていく予定です。その間は思いついたことをたまに綴っていきます。ご了解ください。
今日、日産自動車の追浜(おっぱま)工場(神奈川県横須賀市)での生産を2027年度末に終えるという発表がありました。ボロボロの日産・・・車にあまり縁のない私でも子供の頃はなぜか日産の車が好きでした。あの頃の方が、今でも車種がすぐに口から出てきたと思います。サニー、ブルーバード、スカイライン、シルビア、ラングレー、フェアレディZ、ローレル、セドリック、グロリア等々。大量のCM広告の影響やTVドラマでも結構使われていたからかもしれませんね。毎週見ていた『特捜最前線』や破壊されることも多かった『西部警察』などで刷り込まれていました。バブル期の頃かな?スカイラインでスピードが出るとフロントスポイラーが自動で降りてくるやつとか、確か岩城滉一がCMに出ていた記憶があります。懐かしい。
追浜工場は一度だけ仕事でお世話になりました。確か1990年の初夏、社会人3年目でした。もう35年前になります。当時私の勤めていたレコード会社の親会社がGMSのマイカル(旧ニチイ)で社内にマイカルのハウスエージェンシー機能を持った部門があり、この頃の私はレコード宣伝部からこちらの部門に異動してマイカル関連のイベントや広告販促事業を担当していました。当時、マイカルは追浜工場を起点に開催されていた「NISSAN CUP 神奈川トライアスロン大会」の冠スポンサーになっていて、私は競技会場でのスポンサーの広告物の作成や設置、競技終了後のイベント運営、TVK(テレビ神奈川)でオンエアがあったのでCMの手配等々などを担当しました。当時、経験のあまりない中で日産の方々、トライアスロン協会の方々、TVKのご担当者、関わった代理店の皆様、そして私を支えてくれた会社の先輩や上司の方々・・・大変お世話になりました。社会人になって最初の3年間ぐらいがいちばん濃密に社会勉強していた時期で私にとっては貴重な時間でした。
思い出すとこのイベントでは私にとって初めてのことが多かったです。
まず、追浜工場に行くのに上京して初めて京浜急行に乗りました。たぶん快特だったと思いますがそのスピードに驚いた記憶が今でもあります。当時京王線沿いに住んでいたので快速➡急行➡特急という速さのグレードに慣れていたので"快速特急"の位置づけがまったく理解できていませんでした。
2つ目はプレゼンテーション。スポンサー関連の広告クリエイティブやイベント内容についてマイカルの小林社長以下役員の前でプレゼンして承認をもらったのですが、これが人生初めてのプレゼンだったと思います。まだパワポとか無い時代だったので、プレゼンボードをたくさん作って大阪の本社に行きました。この時の緊張感はいまでも忘れません。
その後、バブルは崩壊してマイカルは倒産。私は90年の秋には当時の会社から洋画のビデオメーカーに転職しました。今となってはサラリーマン生活からはとっくに足を洗ってしまっていますが、私にとっては最初に勤務したこの会社での思い出がいちばん心に残っています。
「NISSAN CUP 神奈川トライアスロン大会」は今でも続いています。今年で39回目を数えました。今後もこの大会が横須賀の地で存続していくことを祈るばかりです。
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コメント
コメント一覧 (2)
日産の衰退は残念です。トヨタはあれだけ儲けているのに・・・悲喜こもごもです。
俯瞰で見れば日本がとっくに衰退国と化している中での事象の一つでしょうが、企業城下町として形成されてきた地元が企業の撤退による苦境に陥るのはこれまで何度も見てきた光景です。座間は後に大型スーパーができたようですが、追浜の跡地は地元の皆さんが活性化できる再開発を望みます。
反面、外資の半導体メーカーの誘致でバブルに沸く自治体もあり、この国がかつての東南アジアの国のようになっていくのをこの年で感じるとは思いませんでした。でもその頃の東南アジアは発展途上でしたからまだ未来への可能性があったわけで、今の日本は衰退の後に米中ソに分割されるのではないかと嫌な予感を抱いております。
くまちゃんの社会人3年目 大変おもいで深い時期のころのお話ですね。
先ず忘れられることはないでしょう。
くまちゃんブログでお馴染みの方々も、各位同様かと存じますが、1990年(平成2年)といえば、日本経済大変な時期でしたね。
トヨタと双璧で日本を代表した自動車メーカー日産の衰退は寂しいものです。
石原プロ「西部警察」は日産と提携か、日産のクルマを使ってましたね。
失われた日本経済の30年とかいわれますけど、日産の衰退はその象徴の一例かもしれません。
ゴーン社長就任の際も、追浜工場の閉鎖が検討されましたが、継続となりました。
追浜工場敷地は、旧日本軍の空港などに使われていたので、不発弾が埋まっていて、その処分には莫大な費用が掛かるそうです。
地元の商店さんはもとより、神奈川県にある300社からの関係会社も、大変な影響で、しばらく話題になるでしょう。
京浜急行線のスピードは東京在住の方がまず驚くようです。場所によっては民家の間を時速100キロだしますからね。